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主裁のプロフィール 

 Yuriko Petrovna Kumana (阿南 百合子、越励学院元事務局長)

 

 1988年4月11日 ロシアの皇帝に仕え非武力を芯とした外交官の曾孫であるスイス改革派の牧師兼教育者阿南巌の長女として千葉県で誕生。

 古代イスラエルにて裁判官の務めを果たした女性のように、裁判官の働きをする人となるようにとの祈りをもって両親はその女性の名前を娘に付けた。14年後、家族が日本に帰化する際、名前の意味を保つべく父の名ペテロは巌に、ミツバチの意味を持つ娘の名は百合子に変わった。

 2007年4月 國學院大學神道文化学部に進学。最終年に古代神道の研究を開始。 

 2010年5月 父の右腕として政治団体全民党を沖縄にて共に設立。2023年2月までの14年間、父の元で政治を含む特別教育を受ける。

 2013年に始まった父に対する弾圧とその苦しみを最も近くで一緒に経験し、事務局長として父主導の社会活動を支える。

 2020年5月 父が熊本県阿蘇郡の平家に迎え入れられたことに伴い、「阿南」姓に変わる。

 2021年3月 父を院長に越励学院を設立。

 2022年2月5日に書面で、及び、同年5月23日に虎ノ門、赤坂、六本木の路上にて、越励学院院長阿南巌による黎明宣言が行われ、日本の純粋な独立運動である「黎明運動」が始動。その一環で国民の「黎明と解洗脳」のために行われた院長の路上講説は40時間にのぼり、国民を戦争に駆り立てようとする勢力に全力で立ち向かう越励学院の尽力とわが国日本の真の主権回復に向けた前進が知られるようになる。

 2023年3月 院長夫妻(主裁の両親)の実際の復活というものすごい奇跡、並びに、黎明時代の到来を越励学院として国内外発表。

 父の意志を継いで2023年6月からの8ヶ月間、官邸前での墓開遵行をはじめとする88の路上講説を都内で実施し、その多岐にわたる内容の公開動画は813本にのぼる。そして、この国に誠の裁判官が存在しないという悪しき実態を外務省前で打ち出し、不正を働く刑事らに対する面と向かった叱責の炎をも保ちながら、日本社会から全てのカルト組織を抹消するために法整備工場たる国会に入ることを2023年末に国民に公に約束

 2024年4月 「小さな黒板 - 主権から私見まで、毎日の発信 -」を開始し、6月上旬まで全40の記事を執筆公開

 2024年7月10日 越励学院の活動が終了。同日事務局長としての務めを終え、同12日、本実検朗の開始に向けて主裁に就任。

​ペテロヴナ
くまな
くまな
れいめい
2024年6月中旬発表の簡略版プロフィール (PDF)
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