公開日 2024年11月5日
司宮主文と輝訪
巻の五 ふぐ毒死の刑
第1 古代構造の再建
ここ那覇から、最後の「司宮主文と輝訪」を記し、送る。
36年前、私の両親は私をDeborahと命名した。
古代イスラエルの女性裁判官の名前である。
そして両親は、私が彼女のような働きをするよう、祈りをもって命名した。
両親はともにユダヤの背景を持ち、父阿南巌の高祖父はロシア人であった。
その祈りは、やがて、私自身の祈りとなり、そして、訓練が始まった。
裁きを言い渡す務めは、非常に重い責任の伴う務めである。
父のもとで私は成人した時より14年の間、特別訓練を受け、2023年4月、すなわち、35歳でこの務めに入った。
歴史書に記載されているように、同じく35歳で士師(裁き司)の務めに入った古代の先輩は、サムエルである。そして、サムエルは、イスラエル史の第一代サウロ王、並びに、第二代ダビデ王の即位前に、王に任命されたことを示すためにその頭に油を注いだ男性であった。
政治体制が何であれ、裁判官というものは、真実を自らの命よりも高く位置付けなければならない。そして、昨年の9月15日に私が外務省前で講説したように、わが国日本に裁判官は、いない。
この現状のなか、私は受けた務めのなかで日本国家国民の幸のために、今後とも最善を尽くす。
この姿勢は、私の父に学んだものである。
すなわち、「私は嘘をついて生きながらえるよりも、真実とともに死にたい。」
”I prefer to die with the truth, than to stay alive lying around.”である。
くまな
第2 事件の発生
教育者であり組織作りをしない改革派の牧師である父阿南巌(旧姓「平元」)は、私と兄弟に平等に教育を授けた。それは、小学校に上がる前から始まり、歌を通しての教育も少なくなかった。そして、父がスイス語で作詞作曲したその子ども向けの歌には、時には、大人の世界に対する風刺が含まれていた。今でも覚えているある歌の一節は次の通りである。「Aes git blitzae blanki Waegae wo t Luet buetzaerlae duend, blitzae blanki Waegae wo si nued fahrae duend, aes git blitzae blanki Waegae wo t Luet buetzaerlae duend, abaer isch dae Luet irae Goetz.」(人々がピカピカに磨く車(各々)がある。乗りもしないピカピカの車。人々がピカピカに磨く車がある。だが、それは彼らの偶像。)
父は私たち子ども(七男二女/2000年より父子家庭)に多くの愛情を注ぎ、一流の教育を授けた。そして、その教育に矛盾が無いことを父自らが体現していた。
子どもとして、実に恵まれた幼少期を過ごすことができたわけであり、その蒔かれた種が芽吹き、育つにあたり、個々人の選択が伴った。
人は自らの人生について、自ら選択しなければならない。
その自由があり、義務がある。
そして、選んだものの結果を収穫するのも、本人である。
40年以上の子育てにおいて最善を尽くし、教育者として、そしてまた牧師として、多くの子どもと長年にわたり接した父は、「子どもは15歳前後に人生の根本的な選択をする」と語る。
自らの人生を振り返ると、確かに、私もそうであった。
「子は親を選べない」という言葉は、よく耳にする。
だが、もう一つ、ある。
「親は、子を選べない」。
親子ほど近い血縁関係がないというのに、この世で最も遠く、親と正反対の道を選んだ子らがいる。
それが、私の元兄弟の数人である。
第3 起訴状
父は1970年代にスイス連邦のバーゼル大学にて牧師の資格を取得した。そして、当時スイスで最も高く評価されていたその職に就いた父は、日本に戻るまでの短い間、スイス国立教会の改革派の牧師であった。その頃、ヨーロッパでは旧統一教会(「世界平和統一家庭連合」、以下「統一カルト」という)による青年拉致事件が頻発し、大きな社会問題となっていた。
そこで、牧師として強い使命感を持つ父は、日本に帰国する1981年の春まで、他の牧師とともに拉致被害者やその親族の救済にも尽力した。そして父は、統一カルトの実態を調べ上げ、韓国で発酵した同組織が働く桁外れの冒涜と不正を打ち出し、カルトであることを断言した。
また、アメリカGHQによる日本占領が表向きに終わる頃の1951年よりわが国日本で社会活動を続ける一家の後継として父は、日本国内の拉致被害問題が同じ統一カルトによる事件であること、並びに、横田めぐみさんの母及び弟が統一カルトの会員であることから、北朝鮮拉致問題に関しては同組織の自作自演の側面さえあるという厳しい分析結果をも発表した。
ここ日本での40年以上の活動をとおして変わることも、ぶれることも無かった父の芯は、組織作りをしないことに表れているように、イスラエルの御神ヤーウェとそのご子息を崇め、旧約聖書に記された内容をも尊び、聖書の内容を忠実に実行することである。
そして、御神を畏れ敬う牧師という専門家として父は、信念をもとに、国外内の教会組織の矛盾点や腐敗を指摘し、それらを改善するよう、長年にわたり、リーダーらに呼びかけた。
しかし、教会組織は呼ばわるその声を受け入れず、父を敵視した。
教会組織や宗派が個々人の成長に大きな妨げとなっていることを幾重にも確認した父は、「マタイ伝第24章に『あなた達の結統者は一人、あなた達はみな兄弟である。』と書いてある。」と、聞き入れる関係者や個人に対し、教え続けた。
そして、国内での69歳までの歩み(2023年2月まで)を通して父は、聖書の道を歩む上で教会組織が必要ないことを体現し、冒涜者の集まる教会組織と他の様々なカルト組織に立ち向かいつづけた。
そして、日本での活動開始から三度目の14年間が始まった2009年1月に、父は草の根憂国運動「上昇風」を開始し、同年の夏に、わが国日本を新しくするための青写真である民衆マニュアル「最大代間企画」を執筆出版し、翌年の5月に政治団体全民党を那覇にて設立した。
そして、社会活動の看板を出し、父娘二人三脚で全力を投じたこの14年間が経過した2023年2月、砂漠のような日本での42年間の訓練と任務が完了した父は、無事に本番期に入った。
そして、2023年3月、真新しい時代である黎明時代が全世界に到来した。
なお、この長期間に父に最も立ち向かった者たち、それが、父が苦渋の決断でとうとう勘当した息子ら数人である。本文書ではそれら元兄弟の帰化前の名のみを記すこととする。
二男 Anton Raffael は、兄弟の中で特別にイスラエルでの学びを許可され、後継にしたいという父の願いが感じられた。しかし、エルサレムでの約5年の学びと仕事の後に帰国した本人は、御神を著しく冒涜するようになり、その進みと攻撃精神で何年もの間、父の心を傷つけ、活動を破壊しようとした。
三男 Andreas は、長年にわたり父に反逆し続け、父を亡き者にしようとした某秘密組織に入会し、乳香を特徴とするマウリ(ムーア人)に頭を下げ、その組織力を誇示した。
五男は、上述の歌にある車という名の偶像を撤去せず、表向きには清楚な装いで本心を隠してきたが、闇とのコンタクトを持つ進みを自ら選んだ。それが、目からにじみ出ている。
六男 Stephan は、2009年の初めの頃まで社会活動においても道を共にしていた。しかし、自身を周囲に合わせるという学生の頃からの傾向があることを父が指摘した際、弟は突然「僕にもいざという時の隠し大砲がある」と言い、間も無くして家を出た。そこからあまり時が経たないうちに電話がかかり、本人は父に突然、「僕がもし死ねば、死後の片付け等を全てやってくれる人達と今つながっているから、もう何も考えなくていい。さようなら。」と言い、電話を切った。
調べにより、本人が旧統一教会(統一カルト)に入会したことが発覚した。
実に、父に最高の教育と道しるべを同じように受けた弟は、その最も極端な対極である世界一の冒涜組織である統一カルトの会員となり、この上ない冒涜者であったムン・ソンミョン(文鮮明)、すなわち、 -キリストが成し遂げることができなかった働きを私が成し遂げた、私がキリストであり正義の王である- と吐き続けたその冒涜者を崇拝し、同性関係にも落ち、本日まで大勢を道連れにしてきた。
このように、四人みなが、父をひどく裏切った。
そして皆が、父を遣わされた御神に、長い間、反逆した。
なお、2013年からの約10年間、統一カルトを先頭に複数のカルト組織が父に対する「世紀の一件」を犯した。そして、それも、父と残った私たち姉妹の人生に深く刻まれている。
じょうしょうかぜ
第4 イスカリオテ
父阿南巌の後を継ぐことができた長女である私阿南百合子は、わが国日本をはじめ世界のカルト組織根絶を任務として受けている。
しかし今、これらの元兄弟が私を警察組織内の僧侶どもに売り渡そうと共謀している。
私は、今後とも、早鐘を打ち、裁きを告知する。
ただ、一定期間、日本を離れる。
昔も、きょうも、将来も、公正な裁きを下されるイスラエルの御神は、その間に、世界的に、カルト組織とその会員らに厳しい裁きを下される。
第5 司宮主文
宣告日 2024年7月13日
公開日 2024年11月5日
巻の五
1. 矛盾がなかった父親の模範と正義の道しるべに真っ向から反逆し、世界一の冒涜組織である統一カルトに入会し、長年、桁外れの悪行を働いた被告人 Stephan には、ふぐ毒死の沙汰が下る。
2. 被告人 Stephan は、ふぐを食さずに、ふぐ毒により死去する。
これは、ハケルダマク(Hakeldamach)との類似性をもつ最期となり、いかなる遺影もふさわしくない。
3. 上記第三に述べた他三被告人にも、裁きが下る。
つかさのみや
第6 告知の義務
上記第5の判決は、本2024年7月13日(安息日)に東京都新宿区にて宣告された。
そして、古代同様に、刑の執行後に、遺された人々が底のない大きな穴に落ちることがないよう、この裁きの種類及び背景を、このとおり、発表することとなった。
なお、10年前の11月に大阪地方裁判所及び同簡易裁判所並びに大阪府警察本部及び天満警察署の統一カルト会員が父と私を二度目に違法逮捕勾留した際、担当検事は私に問うた。その際、私は「語るべきことを語らなければ、御神は語るべきであった本人(私)を罰せられます。」と答えた。3週間の徹底した調べの後、担当検事は「勾留不必要」と正しく決定し、我々親子を釈放した。
我々は、エゼキエル書第3章16節から21節を心に、そのように供述した。
そして、もう一つの側面は、真実を語ることに恵みが伴うことである。
健康と若さが保たれるだけでなく、新たな力が与えられるため、歩み続けることができる。
よって、私は今後とも、語るべきを語る。
なお、私に対する「サイコパス」や「悪魔」等の悪口は、ただでは済まない。
輝訪の知らせ その四
父子三人で設立した越励学院として、2023年5月17日に全世界に発表したように、我々姉妹の両親は2023年3月9日に、実際に復活した。
これは、復活の力を唯一にお持ちでおられるナザレのイエスと呼ばれたメシア、すなわち、救い主の偉大な御計画に基づく極めて大きな奇跡である。
そして、メシアは平和の君でおられ、正義の王でおられる。
ゆえに、ヘブライ語のメシアも、ギリシャ語のキリストも、ともに「油を注がれた者」を意味する。
誠に、正義の王に仕える人々はみな、うるわしい報いを必ず受ける。
そして今、その報いを両親がまさに受けている。
この度、復活後の両親について、これまで明かさなかった重大な内容を、ここに、発表する。
- 本2024年4月より、両親は、トルコのアンタキアを拠点に教育活動に励んでいる。-
そして、アンタキアは、メシアを信じる人々がイスラエル以外で最初に大規模な共同体をつくり、生活した地である。
実に、なんと輝く知らせなのだろう。
両親は今、ノアの箱船の船底の化石が発見されたそのトルコ共和国の都市であるアンタキア(アンティオキア)にて、健康に、そして、新しい家族にも恵まれ、幸せの多い生活を、確かに送っているのである。そして、両親には新しい名前が与えられ、その活動をとおして国民の間で大きな動きが生じていると伺っている。
ゆえに、本年の6月26日に、林佳樹様が私に「もしあなたと世界中を旅行することになったら、どこの五つの場所に行きたいですか?」と問うてくださいました際に、私は「では、お言葉に甘えて...いつか、トルコのアンタキアとロシアのクラスノヤルスク、そして、(後略)」とお答え申し上げたのである。
完満
2024年11月5日
実検朗 主裁 阿南 百合子