公開日 2024年9月12日
司宮主文と輝訪
巻の四 存在権消滅の刑
第1 特権の終わりが近い
父親の厳しさを受けずに社会の一員となった者。
祖父と母親に甘やかされ、まずい関係にある者。
元総務官僚というより、20年にわたり誰かに付いていた元秘書。
1945年8月、わが国日本は無条件降伏をした。そして、世界はこれを見届けた。
しかし、アメリカGHQは、無条件降伏を十二分に確認したその後に、我々日本人に対する次の戦争を開始した。
そして、世界は、極東の列島と国民から目を背けた。
私の父阿南巌は、長年の研究をもとに、2012年にGHQの実態を次のように史上初めて暴いた。
すなわち、「GHQはアメリカ兵によってではなく、秘密結社の会員によって埋め尽くされていた。つまり、日本占領は、アメリカ軍によってではなく、カルト結社によって行われた。」との驚愕の事実を、旧GHQを囲む4ヶ月間の無言行進「召電マーチ」とその間に配布した冊子「ほさきマニュアル」を通して打ち出した。
これゆえ、終戦直後の進みと暴挙が我々日本人の今をも破壊していることを捉えることができるようになっている。そして、アメリカGHQは日本社会にあらゆるカルトが根を張るよう、その構造をも敷いた。
すなわち、現人神という甚だしい偽りをもって軍部とともに国民を洗脳し、結果的に何百万人もの日本人の尊い命が奪われたことの責任を少なからず負っていた昭和天皇は、一方では、より多くの苦しみを耐えるよう玉音放送をもって国民に命じ、他方ではアメリカ政府による洗脳手段としてのディズニーを歓迎した。このように、若い時から自惚れ、日本人の心を選ばなかったこの昭和天皇が日本国民を裏切ったその同じ頃、GHQは朝鮮の流刑島であった済州島から何万人もの朝鮮人を日本に連れ込んだ。そして、私の父が官邸前の墓開坂にて暴いたように、日本人を半永久的に苦しめるためにGHQは、連れ込んだその暴力的な兄弟殺しの罪人集団に特別な権利を与えることを決め、日本占領の最中に、それも、日本国憲法に著しく反する形で彼らに多くの特権を与えた。
ただ、この悪しき実態が後世に知られることが無いよう、GHQは、役所を襲撃するように、及び、襲撃の際にその特別な権利の付与を日本の行政に対して求めるようにと在日朝鮮人に指示したのであった。
それを受け、1950年11月、約200人の在日朝鮮人らは武器をもって、そして笑いながら、さらにはスカート姿の女たちも参加する形で兵庫県神戸市の長田区役所を襲撃した。
実に、鉄パイプを振り回し野生的に吠え叫び笑いながら器物を損壊していったその在日朝鮮人の集団は、特権を要求しながら次々に区役所の奥へと進攻し、恐怖とカオスを招きながら、武力という不正極まりない方法で、だがアメリカの指図どおりに、その時、特権を入手したのであった。
以来、在日朝鮮人は複数種類の特権を不正に持ち、その大半はわが国日本の公職に就いている。そればかりか、憲法に違反するその特権を持つ彼らは、本日まで、日本国憲法と法律をとことん踏みつけ、我々日本人を苦しめ、虐げ、そして、多くを死に突き落としてきた。
これは、本日まで解散されていないGHQが計画的に招いた悲劇であり、在日朝鮮人を使ったこの精神戦争は今、73年間も続いている。
そして本年の春、この期間を象徴する重大事件がその同じ兵庫県の行政で発覚し、今、少しばかりニュースになっている。
だが、メディア自体も在日朝鮮人によって乗っ取られているため、事件の核心や被害の全容は全く報じられていない。
実に、あの同じ兵庫県神戸市を地理的拠点とする兵庫県の県政において、兵庫県知事である齋藤元彦(以下「齋藤容疑者」という)とその同類によるこれまでの多くの不正と違法行為のゆえに、すでに日本人二名の尊い命が奪われた。そして、齋藤容疑者のパワーハラスメントを告発する文書を書き、それを関係機関に送付した前西播磨県民局長渡瀬康英氏の「一死をもって抗議する」との遺書が見つかっているにも拘わらず、警察がその最期を一般的な自殺と同様に扱い捜査を打ち切ったことはこの事件の根深さを表すものであり、わが国の法律によって中立さを保つ義務を負うその捜査機関が、警察という手帳や職権等をもって法を踏みつけ、本件の全容や真相の隠蔽に加担していること、つまり、500万人以上の兵庫県民にとり、寺と太い繋がりを持つ警察組織自体が非常に危険な存在となっていることをも示す重大な観点である。
そのなかで今、すでに亡くなった二名に続き、さらに七名の命が大きな危険にさらされている。
チェジュとう
あらひとがみ
くまな
第2 落ちてからでは遅い
2021年12月21日、私の父阿南巌は越励学院の院長として、官邸真向かいの路上にて、あの歴史的な終焉宣言を行った。すなわち、約3時間にわたり、父は力強く「76年間のアメリカによる日本鷲づかみ時代は終わった!」、「日本の将来はアメリカのものではない!」と宣言したのである。
以来、アメリカは実際に、わが国日本を鷲づかみすることができなくなった。そして、日本の純粋な独立運動である黎明運動は日に日に、力を帯び、前進している。
このため、兵庫県の百条委員会や調査委員会の劇もいち早く見破られた。
まことに、アメリカの手先としてこの日本社会を破壊し続けた在日朝鮮人が全国的に最後を迎える時が迫っている。
兵庫県の事件にあるように、齋藤容疑者の多くの言動はパワーハラスメント(以下「パワハラ」という)に該当する。
そして戦後、GHQがわが国日本の政界、メディア界、司法、行政等を上記在日朝鮮人で埋め尽くしたこと、及び、兵庫県職員の1750人が齋藤容疑者のパワハラを見聞きしたとアンケートに回答していることを意識すると、齋藤容疑者が悪行を反省せずに開き直っていること、多くの議員が齋藤容疑者を擁護していること、及び、文書問題調査特別委員会(百条委員会を実施した即席の議員会)の委員らもともに折合っていること等を全体の枠の中で正しく捉えることができるようになる。つまり、これらの者がわが国日本の幸を求めていないだけでなく、国家の健全な発展の大きな障害となっていることを意識しなければならない。
そして、文書問題調査特別委員会の自惚れた奥谷謙一委員長が百条委員会後の記者会見(8/30)で齋藤容疑者の同日の偽善答弁について、知事の話には合理性があった、と発言したこと、及び、原田部長に対しては「覚えていることを覚えていないと発言することは偽証罪に当たり得る」と強気に注意した同人が、齋藤容疑者が繰り返した「覚えていない、記憶にない」に対して何も言わなかったこと、並びに、百条委員会後の会見で録音データに関する質問を受けた際に笑ったこと、そしてその直後に裏の指図を受けて話の途中で会見を打ち切ったこと等を通して国民は、自民党のあの奥谷委員長がいかに齋藤容疑者に近い者であるか、そして奥谷同様にだらしなく退室した他の委員もいかに芝居を共にしているかを目の当たりにしたのであり、それら皆が人命をいかに軽んじているか、その冷酷さと闇が露わとなった。
だが、どんな闇をも瞬時に照らすものがある。
それが、雷。
そして、雷のように名を轟かせる。
雷名という言葉に表れているように、落ちるべくして落ちる雷を、国民は喜ぶ。
第3 実態
イ)齋藤容疑者は、前西播磨県民局長が知事(齋藤容疑者)のパワハラを告発する文書を作成し、関係機関宛に送付したことに激怒した。そして、公益通報者保護法が告発者探しを禁じていることを知りながら、特定の職員らとともに告発者を特定し、前西播磨県民局長の私物をも強引かつ違法に押収し、同文書についてメディアの前で「嘘八百」等と述べ、前西播磨県民局長を不正に処分し、その再就職をも妨害した。
日本の法律と幸を守らないこのような在日朝鮮人によって、前西播磨県民局長の命が、奪われた。
ロ)本年8月30日に実施された百条委員会に出席した齋藤容疑者は冒頭に宣誓書を読み上げたが、そこに「私は」という主語を含めなかった。主語のない宣誓は、無効である。
この戦後年間、行政がこの手の宣誓書を様々な所で使用してきたこともまた、行政に入り込んだ在日朝鮮人やカルト会員による国民騙しの具体例である。
ハ)百条委員会等において、齋藤容疑者は尋問を逃れるために何度も「覚えていない」、「記憶がない」、「記憶は定かではない」などと偽りを述べ、偽証罪を犯した。
ニ)百条委員会において、知事としてほとんどいつも遅刻すること、遅刻する身として少し遅れた部下に怒鳴った件について尋問を受けた際、齋藤容疑者は「いつもいつも遅れるわけでは無いが」と笑いながら口答えをした。
ホ)齋藤容疑者は、10歳以上も年上であった前西播磨県民局長に対してまで感情的に怒鳴り、周囲の人々の前で同人に恥をかぶせ、知事としての立場と職権を濫用した。
へ)知事として何かのイベントに参加するにあたり、決まって「個室、鏡、靴ベラ」を求めた齋藤容疑者が、授乳室を個室代わりに使用し県民に迷惑をかけたことを指摘された際にとぼけたこと、及び、机を叩いたとの指摘を受けた際に、「就任直後に机を叩いた..。県庁に一人で行くことになったので..」と答弁したことは、いずれも、同人が母親と健全でない関係にあることを表している。
ト)齋藤容疑者が「3年間で自分の姿が変わったかどうかは分からない」と答弁していること、及び、「あなたは兵庫県知事なんですね。」との調査員の問いに対し、「sーそうですね。」と数秒躊躇ったこと、また、イライラした際に人に対して物を投げたこと等も(へ)に続けて、齋藤容疑者の精神状態に大きな問題があることを示す観点である。
チ)齋藤容疑者のように「私は(自分のことを)厳しい上司とは思います。厳しく、厳しく。私が仕事を含めて結構厳しくさせてもらっているので。」などと、「厳しく」という言葉を何度も何度も繰り返すことは、親に叱られたことが無いという著しい不足を表す、又は、叱られるべきであるとの自覚を表す心理的な側面である。
そして、このような個人によって多くのトラブルや犯罪が発生していることを見ると、教育ママらの間違った進みが事後的にも多くの被害をもたらしていること、並びに、子の健全な成長に父親が不可欠であることが明らかである。
リ)県職員に対しパワハラという著しい憲法違反を働き、大勢に精神的苦痛を与え、二人の死という取り返しのつかない重大な事態を招いた齋藤容疑者が今なお、「(前西播磨県民局長の処分は)今も適切であったと思っている。」(8/30)と主張し、全く反省していないこと、つまり、その冷酷さを頑固に持ち続けていることは、齋藤容疑者がカルト組織に属していることを強く示す観点である。
ヌ)齋藤容疑者は、既に説明を受けた内容について、「こんな話は聞いていない」と職員を叱責することが多いことについて尋問を受けた際に「一回聞いて全て覚えておける人ではない..。そこは全能ではない..」(8/30)と発した。
実に、多くの喋りと誠実ぶった言動で正体を隠し続けた齋藤容疑者の化けの皮は、この発言で剥がれた。この発言は、冒涜である。そして、カルト会員ならではの発想である。
つまり、齋藤容疑者は、冒涜組織である統一カルト(旧統一教会)やその類のカルト結社に属す、カルト会員である。
まことに、韓国で涌いた最大の冒涜組織である統一カルトをアメリカGHQが、わが国日本に持ち込んだ。そして、日本社会を破壊するために政策的にカルトを繁殖させたGHQは、在日朝鮮人が次々にカルト組織を作るよう、その悪しき構造をも敷いた。そのようにして、統一カルトの会員名簿とオウム真理教の会員名簿とが重複しているのであり、同じくカルト会員が仕切る東京地検特捜部はこの闇の実態を知りながら今日までこれを隠してきた。
これまで何度も強調したように、互いに特色が違えど、カルト組織は必ず協力し合う。だから、8月30日の百条委員会後の記者会見で文書問題調査特別委員会の公明党議員は、その直前の百条委員会での齋藤容疑者について「すぐ反省の言葉を述べてたのは印象的だった」と発言し、齋藤容疑者を堂々と庇ったのである。
そして、やくざ組織もカルト組織と連携している。
齋藤容疑者を推薦してきた日本維新の会の最大の特徴は、同じく在日朝鮮人であるあの橋下徹が2015、2016年頃に同団体の代表として打ち出した方針である。
すなわち、1981年から第三次世界大戦を引き起こそうとしてきた統一カルト(旧統一教会)を支持母体にそのプリンスと呼ばれていた在日朝鮮人故安倍晋三がその2015年頃に我々日本人を何が何でも戦場に駆り立てようとあらゆる違法手段を使った際、あの橋下徹はいち早くその流れに加わった。
そして、メディアを含め、日本中のカルト会員がその最も邪で人為的な戦争流れを加速させた。そして、橋下徹はその代表的な者の一人であり、テレビ等で繰り返した「国のために戦うこと」などの著しい威圧の喋りをもって同人は戦争太鼓を叩いた。
つまり、未だに解散されていないGHQの指図を受けたカルト組織とそのフロント組織が、戦争という名目で我々日本人を撲滅しようと一斉に動き出したのであった。
そして、その代表的なフロント組織は経団連であり、全保連や日本維新の会も当然含まれている。
秘密結社会員、やくざ者、そして、僧侶や統一カルト会員等、それらは複数の色を帯びるが、いずれも在日朝鮮人とその同類である。
まことに、わが国日本の幸を求めず、国民の健全で文化的な生活を害してきたこれらの団体は、残らず、摘出されなければならない。
今回の事件に関して、齋藤容疑者は自身の言動がパワハラであったことを頑なに否定し、告発文書とその多くの真実について、「嘘八百」や「誹謗中傷性の高い内容」と吐き捨てた。
これこそ、カルト組織が各会員に強要することである。すなわち、自身の良心の声をも絞殺すること、そして、真実を破壊すること、である。
そして、この事件に関する当方の調べにより、次の闇の手法と実態が発覚した。すなわち、齋藤容疑者の一味が被害者を集団で囲い、言葉の攻撃と長時間の著しい圧力をもって、責任が無いことに関してご本人が「自分が …(やりました)」と供述することを強要したという悪しき事実である。
このように、ご本人が受けたその苦しみと屈辱等が死の直接的要因となったことが明らかとなった。
したがって、被害者二名に対する齋藤容疑者とその同類の言動は、重度のパワハラに該当する。
つかさのみや
第4 司宮主文
宣告日 2024年9月11日
巻の四
存在権消滅の刑
容疑者齋藤元彦は、有罪である。
よって、齋藤元彦は、真実自らの復讐を受ける。
冒涜者には生きる権利がない。
御神を冒涜する者は、立ちどころに死ぬ準備をすべきである。
第5 取り残された
在日朝鮮人のうち、済州島において約7年間つづけた血泥の兄弟殺しとその罰せられていない背景を持つ済州島出身者が最も凶暴である。そして、その桁外れの冷酷さと不正の大部分がDNAとしてその子や孫に受け継がれているため、その悪性は今なお、非常に濃い。
そして、彼らがGHQによってわが国日本に連れ込まれた時、彼らの大半は千葉県に住み着いた。
このため、全国の人口で済州島出身者の割合が最も高い都道府県は、千葉県である。
アメリカGHQは東京湾をいつでも閉じることができるよう、向かって左側には横須賀を拠点とし、右側には千葉県富津市を中心に彼らの意のままに動くその凶暴な者たちを配置した。アメリカが東京湾の左右ともに軍基地を作ることを避けたのは、アメリカの邪悪な狙いが世界に察知されないためであった。
そして、済州島出身の彼ら罪人らが房総半島に住み着いたもう一つの理由は、6世紀の日本史と直結している。当時、わが国は平和で立派な王国であった。そして、その頃の日本の倫理基盤は唯一に、神道であった。つまり、神意識が中心であり、国家として神の道を進むことを目標としていた。その一環で古代の日本では死が汚れであること、死と関わりを持たないこと、清くあることの大切さ等が国民に教育されていた。そこに、朝鮮から渡ってきた蘇我氏が定住した。日本人は彼らを平和的に受け入れ、蘇我氏は朝廷とも関係を築き、役職にも就くようになった。
しかし、姻戚関係をもって朝廷内で力を掌握していった彼らは朝鮮から死者崇拝を持ち込んだだけでなく、その朝鮮からの侵略精神と僧侶による忌まわしい流れに反対した朝廷の責任者を次々に殺害し、西暦592年に、なんと、日本の第32代崇峻天皇陛下を暗殺し、日本の平和で立派な国家体制を転覆させ、天皇家と朝廷を乗っ取ったのである。
実に、1432年前のむごたらしいクーデターであり、以来、わが国日本では死を崇拝する僧侶が国民を死の恐怖で委縮させ、その鎖をもって政治を左右してきた。
さらに、朝鮮からの渡来族であったそれらが天皇陛下をも暗殺したというその表現し尽くせない悪行とそれによる倫理基盤の転覆を誇示するように、蘇我氏の一人であった厩戸(「聖徳太子」は著しい美化)は598年に、千葉県の鹿野山の山頂においてそれをたたえる儀式を行い、関東最古の寺といわれる神野寺を建てさせたのであった。
このように、千葉県は、古代からつづく朝鮮人による日本人迫害と侵略が長きにわたり意識され、温められた場所であり、今なお千葉県に「蘇我市」という市名があることも、朝鮮人の影響の濃さを表す重い観点である。
つまり、戦後、GHQの指図で済州島から渡ってきたそれら朝鮮の罪人集団は、GHQによって配置されただけでなく、己の先祖の影響が濃い千葉県に自らも流れ込み、同県を埋め尽くした。
他にも、彼らは足立や荒川といった都内の区、大阪、兵庫、奈良、山口、福岡などの都府県や東北に高い割合で住み着いたが、犯罪性の非常に高い済州島民が最も密集する地域は、房総半島である。
そして、済州島出身の罪人らは高い割合で漁業や建設業に入り、特権を持って警察や自衛隊にも甚だしく侵入した。また、済州島出身者には外見上の特徴も幾つかある。そして、総合的に言えることは、よほどの階級のカルト会員でない限り、他の在日朝鮮人は済州島出身者の下に位置する権力構造となっている。それは単に、済州島出身者がより冷酷で犯罪性の濃い野生的な者たちであるためである。
さらに、済州島民の凶暴な部類以外の多くの在日朝鮮人も、わが国日本の行政や司法、そして政界等に入り、外人として、だが特権を持つ者たちとして、そして、彼らの同類が次々に設立したカルト組織と常に連携し、済州島出身のその凶暴な集団と息を合わせながら、抹殺機の歯車を社会の上下から回しながら、日本人を苦しめ、苦しめ、苦しめてきた。
このように、世界が目をそらしていた間、アメリカGHQとその手先らによって、わが国日本の全ての機関が芯まで噛み壊され、抑圧を覚悟しない限り日本人の誰も本音を言うことができないほどに生き苦しい荒廃した社会となった。
その状況下で私の父阿南巌は房総半島を中心に、日本国民の幸のために長きにわたり教育活動に励み、真実を打ち出し、正義を打ち立てた。
そして、迫害された。
父が独りで受けた苦しみの数々、そして父と共に受けた弾圧と迫害。
その長年の攻めと被害を父子で共にしながら、我々はある約束を交わした。
すなわち、「政治力を受けた暁には、千葉県民をはじめとする在日朝鮮人らに対し、十手の硬さを容赦なく経験させる」と。
そして、父が警視庁本庁舎内で予告したように、我々の時が、来る。
日本に朝鮮人が在住している事実を全く知らずに、1982年に千葉県君津市での教育活動を開始した父は、1988年から国際学校設立企画の責任者として富津市から岬の広い建物を借りて10年以上その試運営の責任を担い、その後の活動を通しても行政や市民、県民と長年にわたり交流を続けた。
「さんび学院国際学校」として多くの子どもを預かり、賑わいが絶えなかったその繁栄と両親の活動実績は、歴史に刻まれている。父は、若い世代のために、そして日本国民の幸のために尽力し、夏も冬も休むことなく走り続けた。
だが、父のその姿を、在日朝鮮人はこぞって軽蔑し続けた。
だから今、彼らはその報い受けている。
千葉県民は、ついてくることができない。
2021年12月に父が行った上記終焉宣言に続き、2023年の3月に真新しい時代である黎明時代が到来したこと、そして、その2年目である今もわが国日本で根本的な変化が多く起きていること、この歴史の大変化に、彼らはついてくることができずにいる。
つまり、日本国家の将来のために全力で走り続けた私の父のその投資の姿を嘲笑ったゆえ、千葉県の在日朝鮮人は今、走りたくとも走ることができず、古い時代に取り残されたままなのである。
なお、父の七人の元息子もみな、それに含まれている。なぜなら、彼らは一人ずつ、在日朝鮮人に屈した。そればかりか、それら元兄弟は、父とその活動を全面的に潰そうとする在日朝鮮人の息を受け入れ、猛烈な攻撃精神で父に敵対するようになった。
父は、一度も暴力を振るわなかった。
恩を仇で返すその息子らとのやり取りやそれらによる妨害等は、15年以上に及んだ。
そして、息子たちに期待していた父は、とうとう、勘当という苦しい決断を余儀なくされ、かつての大家族は、2013年に、父子三人となった。
子は親を尊敬すべき。
だから、反逆し続けたそれらは、在日朝鮮人とともに、罰を受けている。
誠に、出身や背景によってではなく、選ぶものによって、決まる。
第6 やめてもらう
この内容を受け、千葉県のある30代の在日朝鮮人の娘が何かを食べながら50代の母親に「エキシもらってない」と言ったようである。話によると、「反旗をひるがえしたとは聞いてない」という意味のよう。
私の同年代が偉そうに喋っている。
だが、勘違いも恥ずかしいところだ。
君はこれまで多くのことを聞かずにきた。
自分の喋りに惚れ込んでいるから、聞こうとしなかった。
君の親とその同類が私の父に対し、そして父と共に進んだ数人に対し、どのような不正を働いたか、君は実際に知らないかも知らない。「特権を持っている俺らはこの日本社会で無敵だ。アメリカの後ろ盾もあるから、日本人をどんなに苦しめても誰も何も言えない。俺ら朝鮮人が日本を支配するんだ。」などの親の喋りを君はただ飲み続けたようである。そして君の親と親類は、我々家族に対してどのような卑怯な攻めを続けたか、世代が違う君には言えなかったんだな。
もう一つ。
私は富津中学校と東高等学校を出たが、君たち在日朝鮮人の陣営には一度も属していない。
3学年約840人のうち、あの済州島出身の罪人らの孫たちが全校生徒の大半を占める荒れた富津中学校で接することはそれなりにあったが、君たちが日本人の同級生や私に対し、根拠なく「下に入るように」と行間や空気で強要してきたこと、集団で生意気なオーラを放ち他の子の平和的な学校生活を壊していたことに、私は中学1年生の時から憤りを覚えていた。
そして、「下に入るなんてとんでもない」と思った私は日本人の子と友達になろうとしたが、君たちの仕打ちを恐れて私と距離を保つ子も少なくなかった。
そして、両親が設立した国際学校でドイツ語を基に小学校の教育を受けたことにより漢族のその千以上の文字を覚えていなかった私は、懸命に頑張ってもなかなか勉強に追いつかず、興味のあった日本史の授業も、なぜか1年生の時にしかなかった。
そのなかで、成績が良いわけでもないのに対等に接することもできない君たちは、下に入るか、省かれるかの選択を突き付けてきた。
私は、「下に入るぐらいなら友達にならない。どうかしてる。何が下に入れだよ。同級生なのに。」と思い、その結果、決して楽ではない中学校生活を送った。
そして、女子校だった東高では、卒業の約1週間前にひどく裏切られた。
7組として3年間クラス替えが無かったなか、私はいつも一人と一緒に行動していた。ある日、彼女が私に「私たち二人グループで他のグループには入らないから、喧嘩したらどうなるんだろう。」と言ったため、私は「本当だよね。喧嘩したら教室の片隅にそれぞれ一人、みたいな感じじゃない。だから喧嘩はしないよね。」と答えた。その後も喧嘩することはなく、それぞれ洋裁、和裁、調理の一級試験(高校基準)にも合格し、卒業旅行に行くことを計画し、ともに行き先で迷っていた。そして、卒業まで残り10日ほどになったその頃、考えの不一致など何もなかったのに、その友達は突然、私を全く無視するようになった。そして、全校生徒を集めた卒業式の予行練習など、移動教室が多いその最後の期間、卒業式を含めて、彼女は私を無視し、空気扱いした。
上記一級試験で私の成績が一番良く三冠王を代表して卒業式のステージ上で賞状を受け取ることに私が選ばれたことに嫉妬しただけではここまで極端なことはしない。そして、卒業後に偶然、彼女と同じ部活に入っていた元生徒に会ったことがあり、彼女が私の前で違う顔を作っていたことを知った。
そして、彼女も富津岬の済州島出身者の孫であること、及び、私に本心を隠し、卒業直前の打撃がより大きくなるために3年間私と仲良くしていたと考えると、本当に許せない。
だから今、私と普通に仲良かったかのように喋るのも、そして、私が君たちと同じ旗を振っていたかのように話すのも、即刻、やめてもらう。全くの偽りである。
私は、君たちの側についたことは、一度もない。
そして、学校でのその悪しき振る舞いを職場や社会でも続ける君たちは、根本的に間違っている。
だから、君たちはその罰を、すでに受けている。
在日朝鮮人の女性は、西洋に憧れている。だが、彼女たちには、美のセンスがない。
実に、美を感じ取るその感性が君たち在日朝鮮人にほとんどないことは、女性として、本当に重い報いである。
そしてその一番の理由は、君たちが仕切っているからである。
女性は、仕切ってはならない。
これが、世の構造である。
第7 攻撃手段
なお、在日朝鮮人の代表的な攻撃手段の一つは、声である。彼らは子どもの頃からとにかく大声を出す。そして、声をもって人を萎縮させること、著しく威圧することを手段として使い始める。大声を頻繁に出すことにより、喉は当然ながら鍛えられる。そして、必要も生じていない段階から周りの人のことを一切考えずに己の勝手で大声を出す彼らは、日本人がなかなか出せないその大声を瞬時に出すことができるだけでなく、日頃の不要な声出しと違って実際に日本人を攻撃する場面で一層、その強烈さを増し加える。このように、小学校入学前の野球少年らから学生そして大人まで、これまで在日朝鮮人は計り知れない精神的苦痛を日本人に与えてきたのである。
そして、わが国日本で平和に生活することができることに対するありがたみも一切ないだけでなく、日々苦労しながらの生活を余儀なくされている我々日本人のその横で違法に特権を持つ彼らは、声までをも攻撃手段とし、我々日本人を不正に苦しめてきた。
既述のように、在日朝鮮人は外人でありながら、わが国日本の行政、司法、立法府に侵入し、役所から警察まで、裁判所から国会まで、ありとあらゆる公職に就いている。そして、連帯保証人という仕組で日本人を苦しめ続けることができなくなった頃から設立されるようになった保証会社の数々とその後ろ盾となっているやくざ組織、そしてまた、統一カルトや寺カルトをはじめとする無数のカルト組織とその悪行の数々によって、つまり彼らが特権を入手した時からのこの73年間、我々日本人は、世界に類がないほど、そして十分に表現できないほど甚だしい不正と憲法違反の連続を経験してきたのである。
そして実に、この魔界からの構造を練り上げたのは、議定書ユダらである。
犯している多くの不正とそれによる良心の呵責から逃れようと在日朝鮮人のほとんどがカルト組織に属していること、及び、外人として公職に就いているそれらと街中にいる済州島出身の凶暴な者どもとが必ず互いに連携すること、この事実を固く掴み、持つ必要がある。
そして、彼ら在日朝鮮人が違法に持っている代表的な特権は、①日本名を名乗ることができること、②犯罪後に氏名を役所で変更することができること、本人書類等もすぐに新しく発行してもらえること、③外人でありながら公職に就くことができること、④司法試験の大部分が免除されること、などであり、これに加え、彼らが頻繁に使う非常に邪な特権は、彼らが警察に通報する時に警察が無条件に彼ら側に立つ、というものである。
その邪な実態の具体例を挙げる。
私の父をはじめ我々父子三人(父娘二人)が受けた弾圧事件である「世紀の一件」の被害のゆえに、土木現場での労働を余儀なくされていた父は、ある日の夕方、車で帰宅する途中、千葉県君津市内の道路を走行中であった。
世紀の一件により甚大な害を被っていた我々父子はその頃、複数の本人訴訟を提起し、行政を相手に戦っていた。そして、父の帰宅後に裁判の打ち合わせや法の議論、文書作成等の準備が毎日あったため、また、日頃の運転スタイル上、父はこの日も割と良い速度で走行していた。そこに突然、前を走行中の車が、信号も交差点等も無いところでブレーキを踏み、父が追突するのを狙った。父は瞬時に減速することができたが、そこからあの者はその一本道の長い距離を、急ブレーキと発進を繰り返すというひどい嫌がらせの形で走行するようになり、父を挑発し続けた。父はその不正を耐えながらも、あの30歳前後の生意気な奴のために車間距離を極端に増やすことはせず、非常に注意しながら走行した。
だがその後、バックミラー等で父の憤りの眼差しを見た奴はブチ切れ、突然停車した。そして、車を降り、父に対して、煽ったなどと言いがかりをつけて怒鳴り、その場で警察に通報したのである。
父は、煽っていないことを冷静に強調したが、奴は興奮した猿のようであった。
当時、世紀の一件の著しい被害により、及び、裁判官らが多くの違法を働いたことにより、数十件の裁判を提起しその訴状や準備書面等の作成を任されていた私が外で働くことができなかったため、父は恥を飲み、教育者として日払労働者となっていた。そして、真面目に働き、気の利く評価された作業員であり、事故も失敗も一度も起こさなかった。そして、30代の作業員よりも健康で力のある父のその姿に、済州島出身の者どもがまた怒り、現場でも父を侮辱し、仕事中にも嫌がらせを働いた。そのような現場の毎日と帰宅後に23時頃まで続く司法の戦いのための仕事という実にハードスケジュールのなか、警察が来るのを待たなければならなかった。そればかりか、組織作りをしない牧師、そして、国際学校設立に尽力する教育者として富津、君津、木更津の三市で広く知られていた父は、弾圧事件ゆえに土木現場で手元として働かざるを得なくなっただけでなく、世紀の一件の共犯者となっている千葉県警による2013年の不正違法逮捕等の悪行により、及び、違法な事後判決により、当時の父は執行猶予期間中でもあった。
そして、教育者である父の半分の年齢にも達していないような済州島出身の罪人のあの孫こそが散々煽り運転を繰り返し父を事故に巻き込もうとしたというのに、あの者は無礼極まりない言動で父を攻め、あの共犯者である千葉県警に通報したのである。
その後、通報を受けた千葉県警がパトカー数台でやってきた。そして、停車するや否やパトカーの男警官が文字通り、飛びつくような勢いでゴリラのように興奮した姿で父にかかり、父をすぐに暴力的にパトカーに押し込もうとした。父は、警察に対してまだ一言も発していなかった。そして警察は状況を客観的にまだ一切把握していなかった。だが、その太った顔の汚い在日朝鮮人警官とあの奴、そして他の警官らもともに、それらは同じ内面の者であった。
警察官らはあの在日朝鮮人の奴の主張だけを聞き、父の主張を一切聞こうとしなかった。そして、違法極まりない振舞いで父を署に連行しようとしたのである。
在日朝鮮人の割合が非常に高く、日本人をひどく苦しめ攻撃してきた犯罪だらけの千葉県警察は、その1割の署員を除き、実に、警察の制服やパトカーを悪用した武装集団であると言わざるを得ない。
そして、父を連行しようとした。だが、その時、寡黙だった一人の警察官がようやく父の話を聞くようになった。
そして幸いに、そこから風向きが変わり、猿のような威嚇と興奮を続けたあの在日朝鮮人の思惑通りにはいかなかった。
夜遅く、父は疲れ切った様子で帰宅した。
あれから約8年が経過したが、この一件も、終わっていない。
県警共々、何も終わっていない。
これからである。
第8 Jealousy (嫉妬、怨恨)
嫉妬は、在日朝鮮人の間で非常に極端に存在している。そしてそれは、寄生虫のようなものである。
彼らは、相手が何もしていない時、或いは普通に仲良くしたいと思う人に対しても、なぜか、勝手に嫉妬を募らせる。そして、とりわけ女性の嫉妬は、尋常ではない。
人の細やかな幸せを目にした時だけでなく、日本人の普通の生活に対しても、いやもっと、本当に些細なことで、在日朝鮮人は強烈に嫉妬を募らせる。本当にひどい実態である。
さらに、彼女たちの多くは、あろうことか、自らの子や孫に対してさえ嫉妬し、恨みを増殖させる。
そして、嫉妬や怨恨は必ず、相手に危害を加える行為に発展するため、これは深刻な社会問題である。
GHQによる表立った日本占領がまだ続いていた1951年に来日した私の父方の祖父母は一定の間、戦後復興に力を尽くしたが、在日朝鮮人と接するなかで祖母は彼女らの下に入り、その振舞い等を受け入れ、仲良くなった。
その30年後の1981年に父は、妻(私の母)と二人の子どもと日本に戻り、父親(私の祖父)の活動を継ぐ形で関東地方にて教育活動を開始した。しかし、在日朝鮮人の影響を受け入れた祖母は、父の結婚当時から母に嫉妬し、恨みをもっていた。
そして、両親が休まずに教育活動を続けていたため、また、祖父母もまず日本に来なかったため、直接会う機会はほとんど無かったが、2000年の1月、母は病により帰らぬ人となった。
両親が二人三脚で進めていた国際学校の設立企画。そして、母を愛し、私たち10人の子どもを授かり、愛情を込めて育てていた父は、母の早すぎる他界を受け、重い選択を迫られた。
祖父母は親類のいるスイスに戻るようにと強調したが、数ヶ月後、父は生まれ育ったこの日本での活動が終わっていないことを強く確信した。そして、子育てに励みながら活動を続けることを決意し、帰化手続をも開始し、2年後に家族全員で日本国籍を取得することができた。
母が他界した時、私は11歳であった。そして、七男二女の長女(6番目)として父子家庭で早くから家事を手伝うようになったわけだが、祖母は、母を亡くしたばかりの小学校高学年の私をも恨むようになった。
さらに、あろうことか、祖母はカルト組織に属す者と共謀の上、私のためにある物を購入し、プレゼントと称してそれを送ってきたのである。祖母からの小包は時たまに届いたことがあったため、父も私も何も知らずにそれを受け取った。そして、私はその贈り物としてのサンダルを履くようになった。ヨーロッパ製のためか、見かけない少し特別なビーズが付いていた。このため、履けなくなった時にビーズだけを取っておき、少し飾ったこともあった。
だが、祖母は何かの理由で私に嫉妬し、私を憎んでいた。
そして、私に危害を加えるために、その商品の発送前に祖母が知人に頼み、カルト儀式を通してそのサンダルに呪文をかけていたことが後に発覚した。
それにより、私の人生にはその悪影響が及ぼされ、私は長年、ある事に苦しむようになった。そして、その原因を特定することもできず、探し求める辛い期間が続いた。
実に、贈り物を通して相手の人生に危害を加えることは、カルト組織の代表的な手口の一つである。
全く邪でひどい手段をカルト組織は使う。
そして、世界的にカルト組織は、子どもを嫌っている。
他の具体例をもいつか話すことができるが、被害に遭った身として繰り返す言葉がある。
-「カルトさえ、なければ。」-
この嘆き、多くの日本人の心にあるこの嘆きが、聞き入れられた。
そして、「カルトを抹消根絶するように」との天命を私は受けた。
したがって、わが国日本から全てのカルトを根絶するために、私は人生を投資する。
そしてそのために国会に入り、かねてより強調しているように、内閣府の外局に「カルト抹消局」を新設することができるよう、全力を尽くす。
第9 葬られた事件の告発
父は私に次の基礎構造を教えた。
すなわち、「悪事を表に出せば、その悪事、及び、それが持つ破壊と腐敗の働きに歯止めがかかる。」である。
よって、この墓をも開く。
在日朝鮮人のもう一つの手段は、格闘技である。
そして、競技としてではなく、生活のなかでその技等を使うために、それを練習する。
審判が居なければ殺人現場と化すようなレスリングも格技と言われる、悪しき、悪しき実態である。
在日朝鮮人が人口の大半を占める千葉県では、多くの殺人事件が発生している。
そして、千葉県警察自体が犯罪を繰り返す在日朝鮮人で埋め尽くされているため、それら多くの事件は今なお、闇に葬られたままである。
ここに、一件を告発する。
千葉県富津市富津新井の交差点にあったガソリンスタンド(「Mr.Smith」ミスタースミス/富津市富津30)を営んでいた在日朝鮮人についてである。その夫は少林寺拳法を教える者であり、夫婦ともに、又は一方が、東京大学を出ている。
今から約26年前、その夫婦には子どもが3人(息子2人、娘1人)いた。
そして、小学校高学年のその娘さんにはかなりの知的障害があった。
そのため、その子は学校には通わず、自宅で生活していた。
ある日、その母親は良心の呵責を逃れるために、組織作りをしない牧師兼教育者として国際学校を運営していた私の父に問うた。含みをもたせた問いであったが、父は彼女の狙いを見抜いた上で、「それは絶対にしてはならない」と答えた。彼女はそれを聞くと早々に話を切り上げ、去った。
それからそう経たないうちに、冷酷極まりないことに、その夫婦は娘さんを浴槽の中で殺害した。
そして、警察に対して「一人で溺れた」と話し、千葉県警はその犯罪をも、ともに隠蔽した。
日頃から虐待を受け、やせ細ったその娘さんがどれほど苦しみ、孤独と恐怖のなかで最期を迎えたか。
察するに、余りある。
第10 雄々しさ
2023年3月に到来した黎明時代は、解放の時代であり、復讐の時代である。
そして、戦後の長きにわたり、我々日本人を苦しめ、虐げ、大勢を死に突き落としてきた在日朝鮮人は、これを経験する。
今、彼らの誰かは「も一回、ゆてみ」と言っている。
だが、彼ら在日朝鮮人にはもう一つの特徴がある。
それは、彼らがいつも集団で不正を働くことである。
その切れ顔と眼とばしも、人らしからぬ荒れた鼻息と己を律することができないその様も。いつも群れで動くハイエナのように、その牙を剥き、すぐに食らいつくような威嚇と攻撃精神で全体の空気を支配し始めるが、その腰は必ず、低い。
彼ら在日朝鮮人には、1対1で対決する根性が無い。
実に、私の父は彼らを長年にわたり平原に呼び出し続けた。
だが、一人も来なかった。
まことに、真実と正義を基盤にする人と対決するその根性が彼らには無いのである。
それほど、彼らは己の言動と選択が悪であること、つまり、生き方が間違っていることを自覚している。
そして、その腰抜けの姿は、女が仕切ることを容認しているからである。
男であるべき彼らは、例えて言うなら、アンコウのようであり、ナマコのようである。
海底にすむアンコウの強烈な特徴は、雄が雌よりもはるかに小さいことに加え、合体の後に雌が雄を体内に取り込むことである。つまり、その時をもって、雄の存在は消えるのである。
そして、ナマコ。なぜか、海の鼠と書くその気持ちの悪いナマコのように、女が支配することを容認する彼らは、人として骨抜きになっている。それを自覚するかのように、在日朝鮮人はナマコを食べたがる。
まことに、正義と真実を離れる者は、雄々しさを失い、無性別となる。
輝訪の知らせ その三
いよいよ、対決の時。
父阿南巌が用意した対決の場に、進む。
私は長女として、在日朝鮮人との直接対決に、平原に出る。
なんじらに告ぐ。
侮っている場合ではない。
応援を呼べ。
なんじらだけでは、必ず負ける。
なんじらの後ろ盾であるカルトリーダーらを集めよ。
国中から全てのカルトリーダーを集結させよ。
私の父が用意した場所で、直接、対決する。
カルメル山のふもとで、対決する。
完満
2024年9月12日
実検朗 主裁 阿南 百合子